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sweet little time

「コーヒー、飲めないの?」 あの日、彼は言った。まるで幼子をなだめるような、深い苔色の声で。 湯気の立つ、濃く色の出たアールグレイ。いつもは入れるミルクと砂糖を、入れないままで飲み干す。喉が熱くて焼けそうなのに、体はまだ濡れていた。 キッチン…

カミサマノイザカヤ

神様の居酒屋は、常に席が増えたり減ったり。神様の居酒屋は、そういうもの。 さっきまでカウンター席しかなかったはずなのに、今やカウンター席が3列にも連なり、どうやら背後にはボックス席もあるようす。わたしはその、二列目にいる。もちろん、今は、と…

call me later

「行っちゃったんだ。」 彼女、夜のところに。一昨日会った時、朝はそう言っていた。私は、 「そう。」 とだけ答えた。 そうか、あの子、行っちゃったんだ。夜のところに。あの病人のパジャマみたいにやたら長いワンピースや、ちっとも防寒にならなさそうな…

please tell me

彼女が突然消えたのは三日前のことだ。 その翌日から短い旅をする予定だった。彼女が好きなある映画の舞台になっていた街に、行ってみたい、と彼女が言ったからだ。 「夜と一緒に生きていきます。」 机の上に置かれた一枚の紙にはそう書いてあった。それを見…

repeat after me

「言ったでしょう?」 私は何度も繰り返したはずの言葉をもう一度だけ口にしようと、乾ききった唇をひらく。 「私は、朝に嫁いだの。」 「ああ、聞いたよ。君は朝に嫁いだ。」 深く、濃い霧の向こうから聞こえるはずなのに。湿った風は彼の声を私の耳元まで…