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sweet little time

repeat after me

 

 

 

  「言ったでしょう?」

 私は何度も繰り返したはずの言葉をもう一度だけ口にしようと、乾ききった唇をひらく。

 「私は、朝に嫁いだの。」

 「ああ、聞いたよ。君は朝に嫁いだ。」

 深く、濃い霧の向こうから聞こえるはずなのに。湿った風は彼の声を私の耳元まで運んでくる。風はそのまま私の唇まで降りてきて、簡単に言葉を遮った。

  じゃあなぜ、なんて、聞いてどうなるの?

 風は私にいじわるく微笑む。

 

 「朝に嫁いだら、俺と別れたことになるの?」

 

 夜の言うことはもっともで、私はその言葉を待っていたのかもしれない、と思う。体も心もすでにあの懐かしいビロードの帳に包まれていた。三日月のブランコ、光速で巡る星々の歌、獣たちとともに、躍るように呼吸する森の香り。ここは何も変わっていない。

 「私は朝に嫁いだの。」

 もう何の意味もなさないその言葉を、私は再び口にする。そう、たしかに私は朝に嫁いだ。朝の隣で、たしかに私は幸せを感じていた。

 でも、それはもう、あんなにも遠い昨日のことだ。

 「そう、君は朝に嫁いだ。」

 彼も繰り返す。帳がほんの少し揺れて、霧がわたしの頬を撫でる。そっと雫が降りたのを感じた。

 

 「泣いているの?」 

 

 私が言おうとしたその言葉を、けれども実際に口にしたのは朝だった。

 目を開けると、あたり一面光に照らされていた。獣たちはどこかへ消え、木々は陽を浴びて休んでいた。頬が濡れている。朝が私を覗き込んでいるようだった。

 

 「大丈夫?」

 「泣いてないわ。大丈夫。」

 私は答えて立ち上がる。今日が始まるのだ。目の前の霧で、朝の顔が見えないままで。