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sweet little time

please tell me

 

 

 

  彼女が突然消えたのは三日前のことだ。

 

 その翌日から短い旅をする予定だった。彼女が好きなある映画の舞台になっていた街に、行ってみたい、と彼女が言ったからだ。

 

 「夜と一緒に生きていきます。」

 

 机の上に置かれた一枚の紙にはそう書いてあった。それを見た僕は、

 「またか」

 そう思っただけだった。初めて経験したことであるはずなのに、僕はやっぱり、またか、と思ったのだ。

 

 こうなってから口にするのはなんだが、どこかでこうなることが分かっていたように思う。ホテルは直前までキャンセル可能な部屋をおさえていたし、街までは結構な距離があるのに列車を乗り継いで行く予定にしていた。もちろん、列車のチケットも購入する前だった。でも彼女との旅行が楽しみだったのも本当だ。彼女のいない隙にガイドブックを熟読し、地図も頭に叩き込んだ。

 僕は必死で茨をかき分けていた。僕にとって彼女と一緒に歩くためだった道は、彼女にとってはこの場所から消える道となった。

 

 あの映画を、彼女は夜と見たはずだ。

 どうして夜なんだ。何度も何度も考えては止め、考えては止めを繰り返してきた問いが、また呼吸を浅くする。

 

 一緒に乗ればよかったのだろうか。

 あの今にも落ちそうな、か細い三日月のブランコに。早過ぎて聞き取れない星のおしゃべりに耳を傾け、有象無象がひしめく森で僕の下手なダンスを披露すればよかったのだろうか。彼女の叙情的な言葉の一つ一つに甘く秘めやかな吐息を返せばよかったのだろうか。あのわざとらしいほどに湿っぽい映画を何度も見てはともに涙を流せばよかったのだろうか。いたわるように優しくするのではなく、乱暴に粗雑に、荒々しく、思うが儘に、気持ちが溢れるままに。抱いてしまえば、よかったのだろうか。

 夜のように。夜のように、夜のように。

 

 安心する、と言っていたのに。朝の腕の中は落ち着く、安心する、と。そう、言っていたのに。

 寝起きの重い体を引きずる彼女を支えて歩き、乾いた体にミルクと彼女の好きなポーチトエッグと、それとたくさんのキスを注いで、少しずつ覚めていく彼女の横顔を、赤らんでいく頬を、うるおっていく唇を、小鳥たちのさえずりを聞く小さな耳を、光を受けて輝いていく瞳を、やわらかくなっていく表情を、しなやかに動き出す身体を、その一つ一つをすべて、その一瞬一瞬をすべて。すべて、愛していたのに。

 

 

 ふと気づくと外はすでに暗くなりかけていた。おびえた小鳥がそばに来て鳴いていた。

 「まだ夕方だよ。」

 声をかけて立ち上がる。めっきり寒くなった外は暗くなるのが早くなった。もうすぐ冬が来る。彼女の、夜の、好きな冬。

 少しのスープとパンで軽い食事をとり、シャワーを浴びて歯を磨き、寝る支度を整える。明日は爪を切らなくてはいけない。キッチンにあるゴミを出して、ベッドのシーツを洗い、それから、それから、  。

 

 まだ目を閉じていないはずなのに、閉じているみたいに部屋は暗い。

 今日が終わるのだ。闇の中で、明日が来ることも信じられないままで。